最近の修習生は、寄らば大樹の陰傾向があるようで、あまり独立志向はないのかもしれない。例えば、検察官志望なんて、私が修習生だったつい7年前までは殆どいなくて、検察教官は、修習生を確保するのに必死の様子だった。ところがどうだ。今は、検察希望者が溢れていて、お断りするくらいらしい。好きならそれもいいだろうが、刑事事件ばっかりやって役人として一生終わるなんて、刑事訴訟が趣味の私からしてもぞっとしない。パチンコ屋やいかがわしい飲み屋にも入れないような回りの目を気遣う人生なんてまっぴら御免だ。ところが、最近の修習生は、任官希望が多く、弁護士志望でも、大事務所志向のようだ。要するに、無難な人生を送りたいということだろうか。
とはいえ、中には、独立志向の人も世間以上に多いに違いない。私なんかは、独立して仕事をしたいがために弁護士になったようなもので、独立した今となっては、いかに事務所を維持して大きくしてゆくかということを考えるのが楽しい。
そこで本稿は、独立志向の勤務弁護士諸氏に向けてお話しをするものである。既に基盤を築いている先輩弁護士諸兄は、独立間もない弁護士が後輩に偉そうにホザいていると笑っていただければ結構である(笑)。
さて、いつ独立できるか、これは独立を目指す勤務弁護士にとっては頭の痛いことであろう。そもそも、勤務していながら独立を考えるというのは、背理である。勤務先にとって失礼なことでもある。こう言うことからすると、私は勤務弁護士が独立を目指すのはいけないと思う。語法の問題である。「イソ弁」が独立を目指すべきなのだ。イソ弁ということばは差別的だという向きもあるが、私はそうは思わない。居候だから偉そうに独立できるのだ。個人事件をガシガシ獲得して、はやく居候を脱して事務所に迷惑をかけないようにしなければならない。
してみると、独立を目指す弁護士としては、居候的な位置づけに自分を置かなくてはならない。これを端的に言えば、給料はもらいすぎるな、である。とかく修習生のウチは、初任給がいくらとか多寡を気にするものだが、給料が高いということは、事務所の仕事を一生懸命やって欲しいというボスの気持ちの現れであって、高い給料をもらいながら個人事件もやるということはボスの気持ちを踏みにじるものである。だから、薄給でいい。薄給だから個人事件をやらなくては生きてゆけない、くらいのことをボスに堂々と言えるくらいの事務所に所属すべきだ。こうなれば、あなたは立派なイソ弁なのだから、早く独立しなくてはならない。
では、高給の事務所に現に就職してしまっている、立派な勤務弁護士のあなたはどうすべきか。別に困る必要はない。一つには、給与を事務所にお返しすればよい。個人事件を取って自分のフィールドを広げてゆかなくては独立はおぼつかないが、そのためには、弁護士一人では事務処理の限界がある。当然、今いる事務所の職員さんをある程度使わせていただかなくてはならない。こうして職員さんにお手伝いをしてもらうために、一種の経費分担として、給料の全額か一部を事務所にお返しするのだ。勤務弁護士が個人事件をやりにくいのは、得てして事務所の職員を使いにくいという遠慮があるからだ。この遠慮は正しい。経費分担もせず、給料をもらう身であるにもかかわらず、ボスから給料をもらっているという立場では同輩の弁護士が職員を使うということは、仁義に反する。もちろん、ボスによっては快諾してくれるケースもあろうが、それは他人様のウチに食事をおよばれになって、どうぞ遠慮なくといわれたから、その他人様の冷蔵庫の中の品々も全部持ち帰ってしまうほど無礼なことだ。やはり、個人事件はどんどんやれというボスに対しても、こちらの方で配慮をしなくてはならない。
もちろん、経費負担をしたからといって勤務弁護士であることには変わりないから、第一優先は事務所の事件である。しかし、個人事件を少しずつ増やしてゆく努力をしてゆかなければ、独立はできないのだから、これは仕方がない。ボス連中もそうやって独立してきたのだから、これは仕方ないと見てくれるだろう。
それでもいい顔をしないボスであれば、これはあなたが余りにも優秀すぎて手放したくないと良く解釈するか(それならパートナーにしてくれとねじ込むべきだろう)、あなたを使い倒したいというケチな輩だと悪く解釈するか(それなら他の事務所に移ればいいだろう)、それはあなた次第だ。
ところで、独立するために、どうやって個人事件を獲得するのか。
これは、アイディアと努力が勝負だ。抽象的で申し訳ないが、機を逸しないという一言に尽きるかもしれない。
おそらく東京では、弁護士になって3年目くらいまでは、よほどラッキーな人でもない限り、個人事件は殆ど来ないだろう。せいぜい国選弁護とか、親戚筋からの紹介とか、そんな程度だ。
しかし、この間に、与えられた機を逸せずに交友関係を広げてゆくと、4〜5年目くらいに芽が吹き出ることがある。或いは、親戚筋からの紹介であっても一生懸命仕事をしていると、さらに紹介者が紹介者を産むことがある。
さらに、4年くらいやっていると、弁護士会の法律相談センターで事件を受任したり、裁判所から破産管財人を委嘱されたりと、公的な方面からの依頼が増えてくる。例えば、破産管財人一つにしても、最初は、ごく簡単な事件だから、これを完璧かつ迅速にこなすと、裁判所は次々新件を与えてくれるようになる。しかも少しずつ規模が大きくなる。当然、管財人報酬も百万単位になって行くわけだ。それを、管財人なんて自信がないと後込みしていたり、法律相談なんてばからしいと考えてセンターに登録しないでいたりすると、まさに機を逸してしまって、いつまでもイソ弁のままとなってしまう。それでよければいいが。
こうやって機を逸せずに弁護士を5年もやっていると、おそらく事務所からの給料よりも、個人事件収入の方が多くなってくることだろう。実際、私は4〜5年目くらいからは、給料日はとんと忘れていた。ボスには、ボーナス要らない、給料は相当額を経費として戻す、但し個人事件のために職員を使わせて欲しいと交渉して、快諾していただいていたため、給料は全くあてにしていなかった(そう言う意味で、我がボスは理解ある大物だったと尊敬しているところである。もともと個人事件は禁止されていなかったが、上記のとおり、職員を使うための礼儀として私から一方的に申し出たのである。)。
給料より個人事件収入が多くなれば、こっちのものである。それが毎月ほぼコンスタントに100万円を超えるようになれば、独立の算段を考えて構わないのではないだろうか。もちろん、東京で一人で事務所を構えるとなると、毎月100万円の収入では足りないこともあるのだが(経験上、最低150万円は必要では無かろうか。)、独立を考える時期の収入としてはこの程度で良さそうな気もする。
さて、独立を考えたら、どういう形態で独立するか。
早々に独立する弁護士の一般的傾向として、共同事務所形態がある。しかしこれはくせ者である。確かに同期かそれに近い弁護士だけで共同事務所を新規に立ち上げるというのはいいだろう。しかし、既存の事務所に入り込む形での独立は、私にいわせれば、体のいいイソ弁に過ぎない。それでも独立しているから満足というならそれはそれでいいが、よく考えてみれば、自分の上にボスや兄弁がいるような感覚はないだろうか。そういう感覚が自分の中で僅かにでもあるような事務所であれば、それは対外的には独立であっても、真の独立とは言えないのではないかと思う。
やはり、自分で全部経費負担して、あるいは全員が平等に経費負担して、初めて独立していると言えるわけだ。営業力のある有力なトップが頂点に君臨していて、事務所内でそのトップから事件をもらっているようだと、それは独立とは名ばかりのイソ弁である。確かに勤務弁護士ではないが、イソ弁だ。
ちなみにこれは私の私見であって、それが悪いといっているわけではないので、そのような形態で「独立」を標榜されている諸兄は、くれぐれも気を悪くされないで頂きたい。え?書き方に棘があるって?失敬失敬(笑)。
私のお薦めは、東京でも、一人でまず独立することだ。或いは、同期かそれに近い弁護士だけで、新規に事務所を立ち上げることだ。
原始メンバーであることと、期が近いことは、完全なる独立への必要条件だと信じている。
そうして独立して、事務所をどうやって維持すればいいのか。
これは、私にはあまり発言能力がない。ただ言えることは、一生懸命仕事をすること、迅速なリーガルサービスを心がけること、回りと同じアイディアで保守的に過ごしていたのではいけないこと、今まで以上に気を逸しないこと、願うことは適うという夢を持つこと、君子危うきに近寄りすぎないこと、こんな点に配慮していれば、なんとなく維持はできて、かつ、それなりに事務所を広げてゆくことができるのではないだろうか。
また、独立して自分の看板を持ってこその依頼も多いものである。勤務弁護士時代は他人の看板を背負っているわけだが、自分の看板で仕事ができるようになると、依頼も変わるものだ。また、経営者としての自信が、弁護士としての自信にも繋がり、それが相まって良い方向に転がってゆくこともある。
そんなこんなで、自分を振り返りつつ、偉そうなことを書いてみたが、実際、当分は毎月の収入と経費をにらめっこする不安定な日々を過ごさなければいけないというのも間違いないのであって、「なるようになるさ」という気楽な性分の人でなければ、独立することは精神手金ストレスを貯めるだけのような気もするので、自分の向き不向きという適性把握がまず第一歩かもしれない。