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幸運の女神は、前髪しか。


L1020941.jpg 今、私はある人の後見人をしている。

 後見人というのは、財産関係の把握が自分自身ではできなくなってしまった人の後ろ盾となって、その人の財産を保全する保護者だ。成年後見制度という。

 そのある人とは、我が恩師である。

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 私にとって、小学校から中学校まで、いや大学校まで、沢山の恩師に巡り会った。
 最初に巡り会った恩師は、小学校三年生の担任だった門田(かどた)先生だった。忘れられない。
 先生は、「漢字征伐」という、要するに毎朝10分間でチャレンジする漢字の小テストを編み出して我々に提供してくださっていた。小テストを満点で通過すると、東海道五三次の宿場を一つずつ進んでいけるという、漢字ドリルと双六をコラボさせたような、いかにも小学生の心をキャッチする、オモシロイ学習方法だった。
 その漢字征伐で、私は、一番最初に京の都に到達した。ライバルが3人ほど競合している中で、最初に到達できた。
 褒められた。クラス中、みんなの前で、すこぶる褒められた。

 自信がついた。

 ああ、こういうことなのか、と。それは向上することの面白みだった。自分を高めること。

 その門田先生は、私が小学校五年生だったかのころ、膵臓がんで亡くなった。先生は、九州男児、それも薩摩隼人だったわけだが、毎晩々々痛飲なさっていたんだそうだ。
 我々生徒に対して、どれだけ命を分け与えてくれたのかと、そんなことはとっくの今にして思ったことだけれども、当時は、人が死ぬことがどれほど悲しいことか、これも初めて教えられて、ただそれだけの想いしかなく、体育館で訃報を聞かされて、同級生みんなで泣きに泣いた。そう、今、33年前のことを、こうして書きながら想い出した。

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 さて、被後見人たる我が恩師。もとより門田先生ではない。

 こちらはお元気にご存命だから、いつの時代の恩師だとは言えないけれども、門田先生と同じく影響を受けた素敵な方であった。
 私が今日かようにブログに偉そうなことを綴っていられるのも、門田先生であったり、彼の先生であったり、此の先生であったり、恩師の先生方の、全てはお陰様なのである。

 その恩師が、「自分がもし惚けてしまったら、小川弁護士を頼るように」と奥様に常日頃より申し向けてくださっていたのだそうだ。一介の生徒をお忘れにならないばかりか、かような心持ちをいただけたこと、有り難いことこの上なく。
 昨年、恩師の奥様が、我が事務所を訪れて、そういう話をしてくださった。

 一も二もなく、後見人をお引き受けした。そうして恩師の過ごす施設に赴いた。

 陽当たりの良い、さんさんと太陽が窓辺にふりそそぐ、明るくてまぶしいばかりの郊外の素晴らしい施設であった。

 恩師は昔の面影どおり、私に何事をも教えて頂いたのと同じ風情で、車いすにお座りになっていた。本当にそのままに、まぶしすぎる陽光を背後に従えて、矍鑠として、毅然として、じっと前を見据えてお座りになっていた。懐かしかった。もっと早くご挨拶に伺っていたら。伺えたのに。どうして、伺えたのに。

 「先生!お久しぶりでございます」

 「・・・失礼ですが、あなたは、どちらさまでした?」

 涙を堪えた。

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 その恩師に私が教わっていた頃に曰く、


 「小川君、幸運の女神は、前髪しかないのだ。掴めるチャンスは一度だけである。それを逃せば後ろ髪に掴むところは無く。真によく覚えておきなさい。」


 なるほどと思ったものだが、そののち馬齢を重ねるにつけ、恩師の教えが真によく響いてくるものである。

 さて、圧倒的に殆ど掴もうとしていたのは後ろ髪ばかりであった不肖の弟子としては。