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今私が考えていることのアーカイブ


 

 

「クレサラ」は、「被害」か?


要旨

サラ金から無計画に金を借りた結果の多重債務は、「被害」ではない
大々的なCMなどで借り入れを煽って、利息制限法を超えた違法金利を設定するサラ金側も悪いが、それを承知で借りる側もおおいに責任がある。

※「クレサラ」とは、クレジット(信販)・サラ金(消費者金融)を略した法律家用語で、多重債務化して返済が困難になった債務者の問題を指す。

解説

 利息制限法は、10万円以上100万円未満の貸付金利を18%以下と規定している。
 ところが、CMなどを大々的に展開しているサラ金業者でも、20%以上の金利を取って貸付をしている。難しい話になるので詳述しないが、これは貸金業規制法43条という妙な法律があるためだ。つまりこの法律によって、利息制限法の上限金利を超えた貸付も、適法になる可能性があるわけだ(ただし、このほかに出資法という法律があり、29.2%以上の金利はいずれにしても違法だ。)。
 しかし貸金業規制法によって利息制限法の上限金利である18%を超えた貸付が適法とされるためには、厳しい要件を満たさなければならない。具体的には、契約書や領収書などの書き方・出し方が厳しく規制されているのだが、大手サラ金業者でも、実際のところこれらを完璧にそろえているケースは殆ど無いといってよい。
 このため、裁判実務では、サラ金業者が18%を超える金利が適法であると主張しても、これが認められるケースは少ない。そこで、弁護士がクレームをつけた場合には、訴訟で負ける可能性があることが自明であるため、任意和解の段階で、18%を超える金利部分は放棄するのが常である。
 そこでどんなことができるかというと、過去に金利として返済したた部分も、18%を超える部分は全てさかのぼって元本の返済としてなされたものとして、現在残元本を再計算することができる。これは最高裁判所の確定判例である。
 このため、サラ金から50万円を借りて、地道に2~3年間利息だけを返済をしていた場合には、サラ金業者の帳簿残額としては元本50万円が丸々残っていたとしても、上記のような再計算をすると、殆ど元本は残っていないというミラクルが発生するわけである。
 そしてこれを弁護士が交渉する場合には、仮に元本が残っていても、債務者の資力に応じて無利息の分割を呑んでいただく。これは債務者の更生のために債権者が任意に応じてくれるものだが、なんと金利0%である。ありがたいことである。
 このような処理を弁護士が行うことを「債務整理」といい、上記のとおり(1)利息制限法引き直し、(2)将来利息免除、の2本柱でもって処理することが日弁連の統一処理基準となっている。したがって、このような基準に沿って債務整理を行わない弁護士は、ロクでもない弁護士ということになる。

 ところで、債務整理は、弁護士会側からもえてして「クレサラ被害」と称されることがある。私自身もかつてはクレサラ被害と称していたことがあった。
 利息制限法を超えた貸付は一律に違法だという考え方に基づくものと思われる。加えて、大々的なCMなどで借り入れを煽る営業感覚も問題視される。この辺の感覚は、私としてもわからないではない。要するに、「借りさせられた債務者はかわいそう。だから被害者。」という感覚である。
 しかし、「被害」とは、普通の語法からすると、交通事故であるとか、通り魔殺人であるとか、被った側の責任よりも加えた側の責任のほうが圧倒的に高い場合に用いられるものであろう。
 そうであれば、クレサラによって多重債務者化した者は、果たして「被害者」と呼べるだろうか。彼らは、大の大人であり、それが法律は不知であったとしても金利を承知し、返済しますと約束したわけである。それを返せなくなったからといって、被害者だと声高に叫ぶのは感心しない。

 もとより、大手サラ金ではなく、いわゆる町金と呼ばれる金融業者は、10日で3割というふざけた金利を取っており、これはもう刑務所行きになる金利だから、貸付自体が立派な犯罪だ。こういうケースは私も「被害」と呼びたい。
 また、大手サラ金の中にも、いわゆるブラックリスト(信用情報)に既に掲載されているのに、営業を伸ばすためにあえて貸付をするようなところもある。これも、返せない可能性があることを承知の上で、敢えて借りさせるわけで、「被害」と呼べるケースがあろう。

 このように、クレサラは一切「被害」ではないと言い切るつもりは無いが、大方は「被害」ではないのだ。要するにその場しのぎに無計画に借り入れ、後になって約束を破る。これは道徳的に如何なものであろうか。
 かといって、債務整理をしてはならないというつもりは全く無い。彼らを弁護士が「救済」してやらなくては、彼らは夜逃げするしかなくなり、人生を棒に振るばかりか、サラ金側の「被害」が増大する。
 だから債務整理は、債務者の「救済」として弁護士が積極的に取り組まなければならない有意な職務なのである。

 かようにクレサラ問題は、債務者側の視点で「被害」と呼ぶべきではなく、弁護士等側の視点で「救済」と呼ぶべき問題である。

補足

 私は、クレサラについては大いに関心を持ち、多重債務者の「救済」を図っている弁護士の一人である。現に、弁護士会のクレサラ相談センターには毎月くらいの頻度で相談員として臨み、1回当たり5件前後の多重債務者の事件を受任している。また、財団法人クレジットカウンセリング協会のカウンセラーとしても執務し、日弁連の消費者委員会などと定期的に会合を持って、適切な多重債務者救済を行っているものの一人であると、自信を持って自負している。(とはいえ、常時受任件数は10~20件程度であるが、これは当事務所の規模からすればやむを得まい。クレサラばかり処理するわけにもいかないので。)。
 しかし、クレサラの多重債務者は、弁護士が「救済してあげる」ものであって、通常は、「被害者」ではない。被害意識を持っているならば、直ちに改められたい。彼らは自分で承知して借りたわけで、威張れるものではないということを理解しなければならない。

 私は、多重債務者から事件を受任する際に、申し述べることがある。
 「私は、法律家だから、サラ金業者とは闘う。そしてあなたの更生のためにサラ金業者の違法性を徹底的に追及する。しかし、あなたは約束を破るわけだから、大きな顔をしてはいけない。サラ金業者に対しては、申し訳ないという気持ちを持つように。」と。

(2002 Jan. 17)

 




<東京弁護士会所属>
弁護士 小 川 義 龍
<第一東京弁護士会所属>
弁護士 遠 藤 幸 子

東京都新宿区四谷1-18 綿半野原ビル別館5階
小川綜合法律事務所

office@ogawalaw.com
※現在、メールによる法律相談は受け付けていません。
 

 

ある検事に、もの申す


要旨

検察官の意識は、逮捕されたら犯罪者?
 法務省の関連するある研究機関が発行する機関誌に、最高検察庁の某検事が、「犯罪者=被疑者・被告人」、「検察官に黙秘権行使するのは、わがまま」、などと述べている。
 これは、おかしいのではないか。


解説

抜粋して引用するとこうだ。
『日本の刑事司法に携わるもの、特に検察官の多くは、その携わった最初の段階からある種の違和感を味わっているのではないか。私の場合はそうであった。
 それは、日本の刑事法制が余りにも犯罪者、つまり被疑者・被告人の権利の保護に手厚く、逆に被害者の保護に配慮していないものになっているからである。・・・(中略)・・・ 犯罪者は逮捕されても憲法や刑事訴訟法によって「黙秘権」が保証されている ・・・(中略)・・・ わがままな被告人になると、公判で弁護人の質問には答えるが、検察官の質問には供述を拒否するというようなことさえやってのけるのである。・・・(中略)・・・ 裁判所も精密司法が嫌いなわけではないから、強い訴訟指揮をとらないのが一般的な傾向である。かくて、裁判は長期化する。日本の刑事司法は、「無法者に弱い構造」になっているのである。』
 しかし、これはおかしい。
 まず、被疑者・被告人は、「犯罪者」ではない。
 犯罪者というのは、あくまでも適正手続(裁判)の結果、裁判所が認定した被告人をいうのだ。適正手続の結果なくして、犯罪者とは云わない。それを、被疑者・被告人の段階で、既に彼らを犯罪者と呼称することこそ、刑事訴訟法に真っ向から反するものだ。
 もちろん、被告人の殆どが有罪になるという有罪率の高さからすれば、検察官が、おもわず「犯罪者、つまり被疑者・被告人」と考えてしまう気持ちも分からないではない。有罪率が高いというのは、それだけ適正に捜査されている結果であろうから、私は、警察・検察の捜査能力や訴追には、一般論としては敬意を払っている。
 しかし、そのような有罪率の高さから、刑訴法の建前に反して、おもわず「犯罪者、つまり被疑者・被告人」などと口走ってしまうことは、検察官の思い上がりだ。むしろそのような意識を持っていることは危険ですらある。自分たちが起訴する以上絶対に犯罪者だと確信して検察官が訴訟追行することは、仮にも冤罪であった場合の芽を摘むことになる。検察官は、あくまでも客観公正でなければならない。起訴に自信を持つことは良いが、それでも「万一の場合」を常に念頭に置いておくべきだろう。
 また、「わがままな被告人になると、公判で弁護人の質問には答えるが、検察官の質問には供述を拒否するというようなことさえやってのける」というが、これこそ黙秘権の内容である。黙秘権とは自己に不利益な一切の供述を拒否する権利であって、弁護人の質問は有利な事情を引き出すものであるから供述するのは当然だろうし、検察官からの質問は不利な供述を引き出そうとするものであるから供述を拒否することはこれもまた当然なことだ。この当然なことをして、「わがまま」とか、「やってのける」と評するは何事か。黙秘権の全面的否定に他ならない。
 新米検事の言葉ならともかく、仮にも最高検察庁の検事から、このような言葉を聞くとは、残念であると共に、今の検察の本音が、憲法で保障されている適正手続主義を否定するようなところが見え隠れするために、遺憾に思われるのだ。法務省関連の発行する機関誌ということで、検事もつい油断したのだろうか。
 言葉尻を捉えていると評されるかもしれないが、この言葉尻は油断しての発言であればこそ、本音を語るものとして、どうしても見過ごせない。一法曹としては、かの「神の国」発言以上に、インパクトがあった。
 なお、この検事は、犯罪者の保護だけでなく、被害者の保護にもっと目を向けるべきだということもおっしゃっている。これは全く同感だ。ただ、現行法制で被害者の保護が薄いということを、被疑者・被告人の保護が「厚すぎる」という論調で比較されているところに、私は反感を持ったのだ。被疑者・被告人の保護は憲法上、「当然」のことであって、少なくとも厚すぎることはない。憲法を否定するなら、話は別だが


補足

刑事事件を扱った弁護士は、ほぼ全員が同じ印象を持っていると思うが、日本の刑事司法は、被告人が事実を争って失敗すると量刑が重くなる。そして、失敗する可能性が高いのだ。
 なぜなら検察官は、一丸となった専門組織を擁して、徹底的に捜査する。だから万全の証拠を簡単に備えた上で裁判に臨んでいる。一方、弁護士は、結局のところ一介の市民に過ぎない。しかも手持ち証拠は殆どない。
 しかも、刑事訴訟法上、検察官提出証拠は比較的簡単に裁判所に提出できるが(刑訴法321条1項2号書面)、弁護人提出証拠は殆ど検察官が不同意にするから提出できない(同項3号書面)。特に、事実を争っていない事件(自白事件)では、同意してくれるような書面でも、事実を争っていると(否認事件)、ちょっとした証拠も精査された上、不同意にされることが多い。これこそ検察官の消極的証拠隠しのようなものだといいたくもなる。
 このアンバランスに拍車をかけて、そもそも被疑者・被告人は、犯罪という社会から忌み嫌われる嫌疑を既にかけられていて、弁護士もこれを庇護する者ということで、世間からは白い目で見られて協力者はなかなか現れない。一方、検察官は、正義の味方というイメージと国家権力を背景にした漠然とした畏怖感から、市民の協力は容易に得られる。
 ところで、この検事は、『裁判所も精密司法が嫌いなわけではないから、強い訴訟指揮をとらないのが一般的な傾向である。』というが、例えば、被疑者の身柄拘束手続(逮捕・勾留)が、およそ精密司法でないことは弁護士のみならず検察官だって認めるところだろう。そもそも、精密司法とは、まさに適正手続と同義と思われるのであって、裁判所は精密司法が「嫌いなわけではない」のではなくて、精密司法にしなければならないのだ。
 だいたい、検察官側こそ、被告人側が争うと、あらゆる手管をつかって嫌がらせともいえる訴訟追行をするから(例えば、付いていなかった接見禁止をつけるとか、争ったことを捉えて反省の情がないとして求刑を重くするとか)、被告人側も多少の事実齟齬には目をつぶってしまうのだ。本当は、被告人は沢山いたいことがあるはずなのに。
 被告人の声を正面から聞いてくれる検事はいないものか。
 余談だが、ある被告事件で、被告人の保釈申請前に検察官に保釈に同意する意見をもらおうと検察庁を訪れたことがある。対応したのは新人検事だったが、その検事曰く、「確かにこの事件なら、個人的には保釈に同意してもいいという気はしています。でも、「検察庁」としては、この手の犯罪類型では、一律に不同意とする考えですから、私としては同意できません。」と。
 独任制官庁である検察官なのだから、なぜ自分の意見を通さないのか、検察官同一体原則の縛りがあるなら、なぜ上司を説得しようとしないのかと思ったものだ。結局その被告人は、裁判所に保釈を認めてもらったが。
 この顛末は、弁護士的感覚からすれば信じ難いところだ。弁護士は(少なくとも私は)、誰の縛りも受けない。依頼者とだって、無法な意見をいわれれば喧嘩することもある。しかし結局のところ、そうやって喧嘩もして、しかし最後には分かり合って、共に問題の解決に向かってゆくのだ。
 やっぱり最高検の意識改革無くしては、被告人の声は検事に届きそうもない。





<東京弁護士会所属>
弁護士 小 川 義 龍
<第一東京弁護士会所属>
弁護士 遠 藤 幸 子

東京都新宿区四谷1-18 綿半野原ビル別館5階
小川綜合法律事務所

office@ogawalaw.com
※現在、メールによる法律相談は受け付けていません。
 

 

弁護士広告解禁


要旨

平成12年10月から弁護士は広告ができるようになった。
 平成12年3月末の日弁連総会において、これまで原則として禁止されていた弁護士広告が同年10月をもって解禁されることになった。
 リーガルサービスの充実にとって喜ばしいことである。


解説

これまで弁護士は広告をすることができなかった。
 一定の名刺広告などごく限られた範囲では可能だったのだが、それ以外は禁止だ。理由は、自由な広告を認めると、競争原理がはたらいて、弁護士業務の質が低下するという理由だ。
 この広告禁止の理由には、かねてより私は疑問を持っていて、質の低下云々するよりも、市民に対して弁護士のさまざまな情報を提供することがより重要であると考えていた。数年前に、東京弁護士会広報委員として箱根で開催された東弁夏期合宿でこの問題を討議したときにも、私を含めて多くの若手弁護士と、広告解禁積極派として論陣を張ったところである。
 このときは、こんなに早く広告解禁になるとは思いもしなかったが、このところの法曹改革の流れの一つであろうか、少なくともこの改革は大変に好ましいものと評価している。


補足

 広告解禁になるといっても、弁護士は企業と違って広告に割ける費用は多く持ち合わせていない。テレビCMなど論外だし、新聞広告も無理だろう。
 そうなると、費用のかからない広告メディアとして、インターネットが俄然注目される。
 ウエブ上での弁護士広告について、今も数人の弁護士と研究中であるが、私のこのHPも10月以降、試行錯誤しつつ大きく変革させてゆきたいと思っている。

 

 

弁護士広告解禁


要旨

平成12年10月から弁護士は広告ができるようになった。
 平成12年3月末の日弁連総会において、これまで原則として禁止されていた弁護士広告が同年10月をもって解禁されることになった。
 リーガルサービスの充実にとって喜ばしいことである。


解説

これまで弁護士は広告をすることができなかった。
 一定の名刺広告などごく限られた範囲では可能だったのだが、それ以外は禁止だ。理由は、自由な広告を認めると、競争原理がはたらいて、弁護士業務の質が低下するという理由だ。
 この広告禁止の理由には、かねてより私は疑問を持っていて、質の低下云々するよりも、市民に対して弁護士のさまざまな情報を提供することがより重要であると考えていた。数年前に、東京弁護士会広報委員として箱根で開催された東弁夏期合宿でこの問題を討議したときにも、私を含めて多くの若手弁護士と、広告解禁積極派として論陣を張ったところである。
 このときは、こんなに早く広告解禁になるとは思いもしなかったが、このところの法曹改革の流れの一つであろうか、少なくともこの改革は大変に好ましいものと評価している。


補足

 広告解禁になるといっても、弁護士は企業と違って広告に割ける費用は多く持ち合わせていない。テレビCMなど論外だし、新聞広告も無理だろう。
 そうなると、費用のかからない広告メディアとして、インターネットが俄然注目される。
 ウエブ上での弁護士広告について、今も数人の弁護士と研究中であるが、私のこのHPも10月以降、試行錯誤しつつ大きく変革させてゆきたいと思っている。

 

 

レンダー・ライアビリティ(貸し手責任) 


要旨

バブルのツケをもってこられる一般市民
 このページで「投資マンションローン」について述べた。
 バブル期に購入したマンションのローンで生活苦に陥っている債務者が、大変に多い。しかし、日本の法制度では、これらの債務者を救済する手段は、①破産と②金融機関の自己抑制以外には有効な手段は全くない。
 貸し手責任という考え方は、日本には根付いていない。

解説

 アメリカの銀行融資では「ノン・リコース・ローン」という考え方がある。「レンダー・ライアビリティ(貸し手責任)」の一種だが、日本にはない考えだ。
 どういうことかというと、融資案件が失敗すると、その融資の担保を処分しさえすれば、それで全てチャラになるという考え方だ。一種の貸し手の投資危険負担といってよい。
 日本のバブル期のマンション投資も、アメリカならこの考え方で処理できるはずだが、現状そうはなっていない。
 バブル期のマンションは、2000~3000万円の融資を金融機関が不動産販売会社と提携して行い、そのマンションに抵当権を付けている。貸付当時の金融機関の意識としては、最悪の場合、このマンションの売却益から全額回収するつもりだったわけだ。
 ところがバブルが崩壊して、投資マンションは軒並み価値が下落している。その値下がりはすさまじい。2000万円のマンションが、なんと200万円ということもザラだ。状態のいい中古自動車だって買えないくらいの値段で、マンションが取り引きされている。それでも買い手のつかないマンションも増えている。
 このように200万円の価値しかないマンションのために、2000万円の債務を延々払い続けなければならない。今でこそ金利は安いが、かつては相当高かった。人によっては、これまでの金利分だけで元本と同額の支払いをしている人もいる。
 これに輪をかけて、今の不況で、収入減となったりリストラで無収入となったりして、ローンの支払いができない人が増えている。彼らは、投資マンションを処分しても、2000万円が1800万円になるだけだから、結局、残りの債務は支払っていかなければならない。
 支払えない人はどうするかというと、債権者と交渉して債務整理するしかないが、この交渉自体を拒む債権者がある。貸した金は全額返せという論法だ。確かに借りた金を返すのは道理だが、投資ローンはこの論法がそのまま当てはまるとは限らないとも思われる。
 なぜなら、
 1.
もともとそのマンションに債務相当額以上の価値を見いだして融資したわけだから、そのマンションの価格下落についても、金融機関も応分の譲歩をすべきこと
 2.バブル期の高金利によって、既に、金融機関はそれなりの利益を上げていること
 3.社会的弱者である一般市民の窮状に対する金融機関の道義的理解(企業の社会的責任)

 ノン・リコース・ローンの考え方が日本にすぐに根付くとは思われないが、レンダー・ライアビリティ(貸し手責任)を持っているかどうか、今の時代、まさに金融機関の試金石となっているといえよう。
 いずれ今の時期が過ぎれば、再び日本の金融も再生されるものと信じているが、そのとき、レンダー・ライアビリティを無視した金融機関は、市民から無視されて衰退してゆくに違いない。

補足

 レンダー・ライアビリティといっても、貸し手だけが一方的に責任負担すべきものではない。
 投資というのは、投資家にも責任があってしかるべきだ。
 私がいいたいのは、現状は、投資家だけに責任を全部負担させる構造がおかしいということであって、投資家を完全に免責させるべきだとは思われない。
 金融機関と投資家がそれぞれ応分の負担をすべきだというのが持論だ。
 したがって、投資家としては、
 1.マンションの任意売却に協力すべきこと、
 2.残債務についても、一定限度で支払継続を検討すべきこと

 などは積極的に考えるべきだろう。
 そして、ここで投資家というのは、バブル期のマンション投資による債務負担のために家計が破綻状態にある一般市民を念頭に置いているのであり、危険を熟知しつつ専ら投資を行ってきた企業や個人は金融機関側よりも危険負担が大きくてしかるべきだろう。
 一方、金融機関としては、
 1.法的請求権の一方的行使(差押等)は控えるべきこと、
 2.残債務の一定額は大胆に免除を検討すべきこと

 などを、まさにレンダー・ライアビリティとして負うべきだと思っている。
 そして金融機関が債権を償却しやすい税運用がなされるべく行政側にも配慮が求められる
 つまり、金融機関は、残債務の一部を免除した場合に、これを貸し倒れ債権として損金処理(当年度一括経費計上)することで、多少とも税務上の利益が上げられるわけだ。しかし、これをするには税務署が厳しく目を光らせているといわれる。破産していない者の債務をそう簡単に免除して経費にしてもらっては困るというお上の考え方だ。
 こういう風にお上が考えているうちは、金融機関としては損金処理をしたくてもできないということになってしまうから、税務上の柔軟な対応も重要だ。


 

 

弁護士不足って本当? 


要旨

弁護士じゃなくて裁判官が不足している
司法試験合格者が増員されても、その中から採用される裁判官や検察官の枠はそれほど変わっていない。弁護士ばっかり増えて、裁判官が足りない。だから、訴訟も遅延するばかり。 

解説

私が司法試験に合格した10年前は、合格者の人数は500人だった。今は1000人。法曹不足の声に応じたものだ。
 しかし、この合格者のなかから、弁護士だけでなく裁判官、検察官が採用されるのだが、弁護士には採用枠はないのに対して、裁判官、検察官はあわせて数百人と毎年の採用枠が決まっている。半分以上は弁護士になる(orならざるをえない)のだ。
 この採用枠は、司法試験合格者の人数が増加しても、漸増してはいるものの大幅増加とはなっていない。だから、弁護士ばかり増えて、裁判官や検察官はそれほど増えていかないという事態も予想される。
 「裁判は時間がかかりすぎる」とよくいわれる。
 世間の耳目を集める裁判は、慎重な審理を期するため、ある程度長期化せざるを得ないのは当然のことだ。でも、確かに、簡単な債権回収や離婚事件の類でも半年から一年くらいかかることはざらだ。これは、私から見ても時間がかかると思う。時間をかけている間に、相手が倒産などしたら目も当てられない。
 これはなぜか?
 弁護士が不足しているとか忙しすぎるという理由だけからではない。裁判に時間がかかるのは、裁判官の都合だ。
 どういうことかというと、裁判に時間がかかる最大の理由は、期日間が1ヶ月以上空くことだ。つまり、法廷が開かれて、次の法廷期日が来るまで通常1ヶ月以上間隔を置くのだ。
 なぜこんなに間隔を置くかというと、裁判官が抱える事件数が多すぎて、法廷の予約が1ヶ月先までいっぱいだからだ。例えば、東京地裁の民事部の裁判官は、多忙な弁護士一人で抱えている何倍もの事件数を処理している。だから、いくら弁護士が、「今日の法廷を明日続行してください」とお願いしても、別事件の先約が入っているから、ずっと先まで待たされてしまうのだ。歯医者の予約と同じだ。
 弁護士は依頼者と何日かに分けて打ち合わせをするにしたってそんなに待たせることはない。翌日は無理でも、せいぜい翌週また来てくださいとか、緊急の場合は翌日の予定をやりくりしてでも面談する。
 裁判所はこういう融通が利かない。
 私は多忙な裁判官を批判しているわけではない。裁判官には本当にご苦労様といいたい。弁護士よりよほど真面目に仕事をしている方が多いし、頭脳明晰だと思う。
 私が批判したいのは、裁判官不足をもたらしているお役所の実態だ。極論すれば、弁護士と同じように、裁判官や検察官の採用枠など撤廃してしまえばいい。司法試験合格者には、裁判官や検察官になりたいのに、採用枠の関係で、せっかく任官を希望しても採用されなかったものがたくさんいる。こういうことをなくした上で、司法試験合格者数を増やしていかないと、片手落ちだと思うのだ。
 法曹人口全体が増えることは構わないと思うが、裁判官や検察官が増えないのであれば、裁判の遅延などは絶対に解消されない。
 確かに、裁判官や検察官は役人だから、国家予算(給料)に限りがあることや、役所設備(机の数)に限りがあることはわかる。そのための採用枠だ。しかし、予算や設備に限りがあるのに司法試験合格者だけ増やして採用枠は増やさないというのは本末転倒ではないか。
 予算や設備も増やしつつ、それに見合う採用枠をも増やしつつ、そうして弁護士・裁判官・検察官がバランスよく増えるような司法制度を作り上げてゆかなければならないはずだ。
 それを裁判に時間がかかるのは弁護士が不足しているからだと言い放ってしまうのは、余りにも実態をしらなすぎる意見だ。マスコミにこういう論調があるが、猛省を促したい。攻撃する敵が間違っているぞ。

補足

 先日、日経新聞で、かの中坊公平先生が、弁護士不足について指摘し、大幅増員について意見しておられた。
 私は中坊先生の孫弟子にあたる立場なので、先生を尊敬しているし、その意見はそれなりに熟慮の上のことと思っている。
 弁護士増員については、裁判官や検察官の増員もなされ、かつ現状の弁護士数でもできるだけの質の向上(例えば、事務職員の質の向上と職務分担など)を図った上のことであれば、異論はない。
 しかし、中坊先生がおっしゃるような、今の何倍もの増加をする前に、もっと弁護士業界・法律事務所組織を改革する必要があるというのが私の意見だ。中坊先生のご意見は、紙面を読む限り「質より量」と読めてしまうが、そうではなくて、まずは「量より質」の確保。その上での量の確保ではあるまいか。
 即ち、法律事務所の企業的体質の確立だ。
 私の思うところはまた稿を改めることにするが、要するに
 ・弁護士だけが法律事務を抱える体質を改めて、パラリーガル(準弁護士)の養成を図って、法律事務所内の事務の分散化を図る
 ・パラリーガルの養成方法として、弁護士会による法律事務職員資格検定・義務的研修制度を新設する
 ・弁護士や司法書士、弁理士、税理士などとの協働関係を一層確立する
 ・法律事務所の法人化、大規模化の推進
 ・年功序列でなく、能力のある事務職員には能力に応じた待遇を与える
 こうやって既存の弁護士の中だけでも変革させてゆく余地が大いにあり、単に頭数だけ増やす議論だけでなく、実質的変革をさせる議論こそ重要に思っているのだ。


 

 

刑事弁護人の役割 


要旨

被告人を弁護するのは国民の総意
 凶悪犯罪者をなぜ弁護するのかという質問がある。
 しかし全て犯罪者には弁護人が選任され、弁護人が弁護することは憲法と刑事訴訟法で定められたこと。これは国民の総意なのに、弁護するのはケシカランという論調こそケシカラン!


解説

 世間の耳目を集める凶悪犯罪。法律に則った手続で犯罪者であることが認定できたのであれば、個人的には、どんどん厳罰に処すればいい。少年だって成人だって、因果応報。人を殺せば殺される(死刑)のはあたりまえ。
 しかし、これはあくまでも犯罪者として認定できればの話。
 皆さん、正式裁判を経ていないのに、マスコミの報道だけで「あいつが犯人か!死刑にしてしまえ!」と熱くなっていないですか? マスコミの報道こそ厳に戒められるべきだと思いますが、報道なんて全部正しいとは限らないんです。かつて松本サリン事件の犯人と誤報されたケースがあったでしょう? マスコミの情報だけで、「あいつを犯人」と決めつけていませんか? こんなのリンチ以外の何ものでもありません。マスコミ報道を鵜呑みにする風潮は、嘆かわしい。
 法治国家というものは、リンチを否定して、適正手続で刑罰権を行使するという建前です。裁判所が犯人と認定するまでは、犯人ではありません。
 そして、この認定は、人が行うものですから、一つの過ちだってあってはいけないのです。だから、検察官と弁護人が、それぞれの角度から光をあてて裁判所に誤りのない判断をしてもらう。そのために、弁護人は「敢えて」アンチテーゼを唱える役割を法律上担わされているんです。
 弁護人個々人の主観としては「こんなのこいつが犯人に決まってんだろ、やってらんねーよ」と思うものもあるかもしれません。でも、弁護人は、アンチテーゼを建てる役目を法律上決められているんだから、仕方ありません。国民がそう決めたんですから。しかも、弁護士の誰かが必ずこの役割を担わなければならない。
 じゃぁ、100%間違いなく「こいつが犯人」というケース、誤判のありえないケースでも、弁護することは意味があるんでしょうか?
 あります。
 それは、「こいつ」のために弁護をしているんじゃないんです。「皆さんが将来冤罪に泣かないように」、たまたま今、弁護している「こいつ」の事件をきっかけとして、刑事裁判制度全体がちゃんと適正手続で遂行されているかどうかを監督している役目でもあるんです。
 どういうことかわかりますか?
 100%「こいつ」が犯人であることは決まり切っているから弁護人はいらないし、裁判も簡単にさっと済ませてしまったら、今後どうなってしまうでしょうか?
 きっと次第に裁判手続は緩やかなものになっていってしまうでしょう。100%だったのが、99%こいつが犯人ならいいや、ということになり、それが98%ならいいやということになり、そして・・・。
 そもそも100%なんてまずないことなんですよ。だから、どんなに明らかな犯人性を持った事件でも、その事件で刑事訴訟の厳格な手続の建前を崩してしまったら、その後来るべき事件で「先例がある」ということで、いい加減な裁判が起こり得ない。
 そんな世の中になってしまって、たまたま身に覚えのない事件であなたが被告人として立件されてしまったらどうします? マスコミに扇動された国民が、あなたをすぐ極刑にせよ!と騒ぎ立てたらどうします? ぞっとするでしょう。これこそリンチです。魔女裁判じゃないでしょうか。
 殺人や強盗などの冤罪事件を思い浮かべてはいけませんよ。もっと身近な、痴漢とか道交法違反などでは、人違いなどによる冤罪事件は意外と多いものなんです。人ごとではありません。そのとき、自分にいい加減な裁判がされたら頭に来るでしょう?
 私はかねてより死刑は賛成ですし、少年犯罪に対しても厳しい見方を持っていますが、そうであるからこそ、刑事手続そのものは絶対厳格に行うべきだという意見も併せ持っています。リンチの声は、絶対に許しません。
 凶悪犯人には弁護人不要というのであれば、憲法と刑事訴訟法を改正してもらわなければなりません。ただし、あなた自身にいつ降りかかるやもしれない冤罪の危険も十分覚悟していただいた上で。
 いいですか、冤罪事件というのは、一般の人の目には触れなくても、当事者として関わってみると意外とあるもんなんです。あなたが、いつ身に覚えのない咎で警察に逮捕されるかも知れない。未だ見ぬあなたのその悔しい思いを、万が一でも護るために、個人的には引き受けたくなくても、われわれ弁護士は、刑事弁護を引き受けて刑事手続の適正を維持・監督しているのです。
 「悪人の弁護をするのはなぜ?」と聞かれるのが嫌で、刑事弁護は一切やらないという弁護士も多いというのは事実です。
 しかし私は、刑事弁護は国民に対する弁護士の義務と心得て、国選弁護人を進んで引き受けています。刑事弁護は、弁護士として「やらなければならない」仕事なんです。金や時間の問題ではない。
 検察が犯罪者を訴追するのはあたりまえ。むしろ、嫌な仕事を引き受けざるを得ない弁護士こそ、応援して欲しいものです。


補足


 現在継続している某宗教団体の刑事弁護人たち。凶悪人の弁護をしているということで、顧問先にも離れられ、民事の依頼も少ないんだとか。気の毒な話ですね。適正手続を護るために、将来の国民のために、弁護活動をしているようなものなのに(かの事件で当の被告人たちが極刑を免れそうもないことは薄々わかっているんじゃないですか)。
 しかも、彼らは、国選弁護人ですよ。国からお願いされて弁護人を引き受けてあげているんです。被告人たちから頼まれているわけでも金をもらっているわけでもない。
 それを極めて安い国選弁護報酬で一生懸命弁護している。でも、その弁護がケシカランと、検察ばかりが裁判官までもが白い目で見る。
 しかし、裁判官が選任した弁護人たちなんですから、裁判官、自分でお願いしておいて、弁護活動がいいの悪いのいうっていうのはおかしいんじゃないでしょうか。
 裁判の長期化は確かに由々しきことです。でも長期化するのを避けるために、刑事手続を簡素化することは本末転倒です。そもそも、マスコミで取り上げられる事件は、大事件が殆どだから長期化するのは当たり前なんです。
 9割以上の刑事裁判は、1回の公判で結審してすぐに判決宣告となる印象ですから、そんなに何ヶ月もかかるものではありません。およそ刑事裁判は時間がかかるという考え方は誤っています。
 日本の刑事裁判は、悲しいかな、検察寄りの印象を持たれても仕方がありません。

 


 

 

商工ローン問題 


要旨

銀行など大手金融機関が商工ローンの金主に等しい
 今に始まったことではない。
商工ローンから金を借りたら倒産必至というのが、弁護士的感覚。サラ金なんか可愛いもの。
でも諸悪の根源は、銀行なんじゃない?

解説

 銀行が貸し渋る中、その銀行が商工ローンには安い金利で高額を貸し付け、これを商工ローンが消費者に高い金利で貸し付ける。商工ローンの金利は40%近いところが殆どなのに、銀行の貸出金利はおそらく5%以下。そのマージンが全部商工ローンの儲けとなる。
 商工ローンだけを責めても駄目。ようするに、厳しい取立ての商工ローンを利用して、銀行だって暴利をむさぼっていると考えなきゃ。

補足

マスコミを賑わす某N社は、以前、交渉のため電話をしたら、いきなり「おい、弁護士!テメ~この野郎!」てな具合で怒鳴られて、どこの組事務所に電話しちゃったのかと思った。こんな取立てされたら、腎臓だの目ン玉だの言われなくたって、一般人だったらまず参っちゃうね。私は慣れているから、聞き流して、電話録音のスイッチをさり気なく押すだけだったけれども(笑)。
 ちなみに現行出資法からすると、グレーゾーン金利の最高は40.004%だけど、利息制限法の最高金利は15%(100万円以上の貸付の場合)。利息制限法を超える金利も「貸金業規制法」に定める厳格な要件を満たしていればいいんだけど、これを満たす業者は殆どない(裁判になっても業者は殆ど負ける)。だから、われわれ弁護士は、15%を超える金利は全部違法金利だって言って認めないわけ。
 商工ローンから金を借りるくらいの窮状に至ったら、借りる前に、先ず弁護士に相談すべき。


 

 

都市部の駐車禁止 


要旨

駐車禁止区域の見直しを!
何で都市部の道路は全面駐車禁止?
一番おかしいのは路上コインパーキング。

解説

 道路交通法が駐車禁止を定めている趣旨は、交通渋滞や駐車車両による交通の危険を招くから。この趣旨はもっともだ。
 でも、都市部の道路は、住宅地の奥深い道路なども全部駐禁なんだそうだ。まぁこれも住民の迷惑を考えれば仕方のないところか。
 でも、大通り沿いにはコインパーキングがあるのも事実。金を払えば、交通渋滞や交通の危険が払拭されるのかぁ?そんなわきゃねーだろ!
 ましてこのコインパーキング、日中しか機能しないんだよね。夜7時を過ぎると、その駐車区画にとめていても駐車禁止になるんだ。これは、駐車料金を回収したり見張ったりする人が夜間は稼動できないからというのがもっぱらの理由。
 でも、日中、交通渋滞や交通の危険が高いときに金を払ってこれが解除されるのに、夜間、交通渋滞や交通の危険が乏しくなったときに、駐車料金回収ができないって言う理由からそこにとめたら駐車違反になるって言うのは釈然としない。
 日本の交通行政、すっごくおかしいぞ!

補足

 だいたい人の迷惑を顧みず、交番前の路上に堂々と止めているパトカー! これはなぜ許される? 日本が警察国家といわれる所以だな(だいたい日本は、自由主義国家の建前のもとで世界に冠たる社会主義国家だというのが私の持論)。
 それから、速度制限も釈然としないぞ。首都高なんていまどき60キロ制限だ。こんな低速でみんなが走っていたらかえって渋滞したり危険だったり。速度制限を撤廃しろとは言わないけど、もっとフレキシブルにすべき。場所場所を考えて、適宜速度制限を見直したらどうだろう。とりあえず、首都高は80キロまで上げるべきだな。