重罰化・被害者保護 - 法律相談なら弁護士、小川綜合法律事務所へ

法律相談なら弁護士、小川綜合法律事務所へ

 弁護士ブログ・事務局ブログも連載中

重罰化・被害者保護


jubatsuka.jpg
 被害者参加制度を盛り込んだ刑事訴訟法改正がなされることになった。

 今まで、犯罪被害者側は、刑事訴訟手続では基本的には蚊帳の外に置かれていた。これまで殺人事件の被害者の遺族は、せいぜい遺影を抱えて法廷傍聴するくらいしかできなかったところ、今後は検察官の隣に座って当事者として意見陳述などができるようになる。
 刑事訴訟は「国が」刑罰権を発動する手続であるから、いかに被害者であっても「悪いようにはしないから黙って見ておけ」という杓子定規なものだった。しかしやはり被害者感情として黙って傍観できないのは人情として当然のことだろう。こういう意味では、被害者参加制度の導入は遅すぎた必然ともいえよう。

 ところで最近の刑事訴訟は、被害者保護の潮流を受けたものか、重罰化の傾向にあるような気がする。

 例えば交通事故死亡事件。これは業務上過失致死罪に該当したわけだが、法定刑の上限は5年であった。愛する家族を交通事故で失えば怒り心頭である、こういう心情はよく分かる。私も肉親がそういう目に遭えば、相手をタダでは済まさないという気持ちになるかもしれない。こういう人情を受けてか、危険運転致死罪という法定刑の上限が20年まで宣告できる刑罰法規が5年ほど前に新設された。
 しかし危険運転致死罪は、飲酒運転中の事故など適用場面が限定されていることからなかなか適用できず、通常の業務上過失致死罪の法定刑とのギャップが大きかった。そこで、およそ自動車を運転中の事故については、自動車運転致死罪という法定刑の上限が7年まで延長された特則が新設される。
 いずれにせよ、明らかな重罰化の流れだ。

 しかし私が司法修習をしていた20年近く前には、ある裁判官は、交通事故の一部は非刑罰化してもいいんじゃないかという意見を堂々と述べていた。特定の裁判官のみならず、刑事訴訟・刑事政策学者にもそういう論調があった。過失事件は、極力非刑罰化して、むしろ損害保険制度など民事賠償を中心に被害者保護を図っていけば足りるという現実的な意見だ。
 交通事故は車を運転するものにとっては万人に絶対不可避なものだ。業務上過失といわれると、ヒドイことをしたように聞こえるが、自動車を運転する人で過失(=不注意)がなかった人は絶対におるまい。事故にこそならなくてもヒヤッとした経験がない人はいないはずだ。こういう現実のもとで、過去の不注意を糾弾して刑務所に入れることにいかほどの意味があるかという論調は必ずしも不当ではない。不注意を糾弾している裁判官や検察官自身が、自動車を運転するものであれば、どの口が物を言っているのかと思っているに違いない。
 もとより飲酒運転の揚げ句だとか、無謀運転の揚げ句の事故は、これは余り宥恕できない。刑務所に行っていただいても仕方ない。しかし、日常普通に運転していたあげくの交通事故は、一律に自動車側が全面的に不注意だったと限られるものばかりではなく、一律全面的な重罰化は、果たしてそれでいいんだろうか、世情に流されすぎていないだろうか、という気持ちが出てくる。

 死刑にしたってそうだ。やはり私の学生時代は、死刑廃止が世界的潮流であったこともあり、死刑の賛否が公然と問われていた。しかしオウム事件以降であろうか、もはや死刑反対論は殆ど公に発言されなくなった。死刑は必要という世論が暗黙のうちに形成されている。