マスコミの試金石 - 法律相談なら弁護士、小川綜合法律事務所へ

法律相談なら弁護士、小川綜合法律事務所へ

 弁護士ブログ・事務局ブログも連載中

マスコミの試金石


mass_1.jpg
 母子殺人事件裁判で、少年の言い分と弁護団の主張をめぐってマスコミが騒がしい。

 確かに報道されているところからすると、少年の言い分は合理的なものではなく、それを敷衍した弁護団の主張も奇妙に思える。
 このことから、マスコミに登場するジャーナリストや評論家やコメンテーターの多くは、少年の言い分を死刑逃れの馬鹿げたものと評し、これを鵜呑みにして主張を展開する弁護団を糾弾する。

 しかし、こうしたマスコミの姿には空恐ろしいものを感じる。

    ---------------------------

 マスコミの論調は、「悪いヤツの弁護をするのはけしからん」というものにほかならない。
 しかし弁護人とは、法律上要請された「役回り」であり、究極のロールプレイだ。つまり、検察官が「こいつは悪者だ!」と主張し、これに対して弁護人が「本当にそうだろうか?」とアンチテーゼを立てる。これが現代刑事訴訟の基本構造だ。そして、検察官の主張と弁護人のアンチテーゼを法廷で戦わせた結果、これを静観していた裁判官が有罪無罪を判断する。
 弁護人のアンチテーゼが荒唐無稽であれば、マスコミが大騒ぎしなくても裁判官はそんな主張は採用しない。しかし、荒唐無稽であろうと何であろうと、僅かでも可能性があれば弁護人はアンチテーゼをたてなくてはならない。これが役目だ。裁判官や一般人がクビをひねるような主張であろうと、これをするのが弁護人の役割だ。
 神ならざる人が人を裁く以上、一片の間違いもないように、検察官と弁護人が180度違う角度から光をあてて事件を検証する、この構造は絶対に必要なものだ。
 マスコミの論調は、この訴訟構造の否定だ。簡単に言えば、議論せずとも検察官だけでよいという論調だ。

 

mass_2.jpg
 もちろん、被告人があまりにも不合理ないいわけをするようであれば、被告人と面会して打ち合わせをする際に、弁護人は被告人に対してその真意を問うたり、そんないいわけはおかしいのではないかと説諭したりする。被告人の意見に盲従するような馬鹿者はいないはずだ。
 しかし、それでもなお被告人が主張をしたいと言い、その内容に僅かでも可能性があるようであれば、これを正々堂々と法定で主張展開するのは、弁護人として当たり前の行動といわなくてはならない。

    ---------------------------

 あるコメンテーターは、「私は死刑反対論者ですが、この事件は別です」と言い放った。そしてそのコメントにうんうんと頷いている他のコメンテーターも映し出されていた。背筋が凍った。
 おそらくこのコメンテーターは、いずれ、「私は戦争反対ですが、今回の開戦は別です。戦争に行かぬ者は非国民です」と言い放つに違いない。そして、うんうんと皆が頷いている映像が毎日繰り返し放送されるのだ。

 今のマスコミの論調、更に言えば政府の論調は、まさに「世間で否定的に言われているものは、議論を待たずに即刻抹殺すべし」という傾向が強くなっている気がする。さしずめ第二次世界大戦前の世論がこうだったのではないか。

 かくして、この事件こそ、マスコミの試金石ではないかと感じているのだ。

 賢明かつ冷静に報道ができるマスコミは果たしているのか。筋を通して正鵠を射た報道ができるジャーナリストは果たしているのか。商業主義の薄っぺらでくだらない報道バラエティ番組の中に、金の光は見いだせるだろうか。

(※冒頭掲載の写真は本文とは無関係です。)