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やっぱり広辞苑は紙がいい


080115153709  新年明けて最初に注文した書籍、広辞苑第6版が届いた。

 いまどき辞書類は、パソコンや電子機器で検索するのがいいという意見は多かろう。多種多様な要望に対応できる検索性能は極めて優れているし、全く場取らないし、ウェブ型は情報が最新かつ充実する一方だし、電子辞書の優位性は全く否定できない。どちらがいいかというレベルを凌駕している。辞書類は、所詮データベースであり、データベースといえばパソコンの独壇場だからだ。
 実際、私自身、日々の文章を書きながら、ちょいと単語を引くには電子辞書。あまり詳しくない法令を調べるのなら政府の法令データ提供システム。法律家でありながら、それでもWikipediaで法律関連の検索。さらにはパソコンだけでは飽きたらず、単体製品の電子辞書であるシャープのパピルスなんてガジェットも、オタクのマストアイテムとして座右に置いてある(こちらはあまり使っていない)。

 こんなに電子まみれの私でも、やっぱり、辞書と六法は、紙がいい。

 正確に言えば、もっぱら紙がいいと主張するわけではない。紙の本も座右に置いておきたいということなのだ。当然電子辞書類は使いこなしの使いまくりのワタシという前提で、辞書は広辞苑、六法は六法全書(有斐閣)が手元にあるのだ。

 だいたい、本は、その風情がよろしい。
 印刷された紙束の持つ、あの風情。重さ、手触り、そしてページをめくる音と風と薫り。
 一番好きなのは匂いだ。
 新しい本を買うと、私は必ず、顔を近づけてページをパラパラしてみる。そうして匂ってくる紙の薫り、印刷の薫り、そしてページの薄紙が次々と親指をくすぐる感触。子供の頃から恍惚となる一瞬だ。新しい本でなくとも、古書の薫りも。古書は印刷の匂いはおそらく消えていて、いろんな空気を長らくじっくりといっぱい吸い込んだ紙だ。カビくさいと表現する人もいそうだが、私にはカビくさいというよりも日だまりの匂いがする。いずれにせよ新書からも古書からも陶然とさせるフェロモンが出ていることは間違いない。
 次に素敵なのは存在感だ。
 辞書にしろ六法にしろ重い。そして片手に余る厚みがある。辞書を引き寄せて、うぉ片手だと落としそうだぞと両手でぶる下げて、机の上にどんっと置いて、ともかく真ん中あたりのページを開いてみる。こういう所作を毎度繰り返しつつ、その所作の中心にある本の重さと厚みという存在感故に、調べた単語が自ずと身に染みる。ああ、この条文はあのとき買ったばかりの六法全書のあんなインクの匂いのするあのページの右上あたりに置いてあったなとか、その単語は開いたときに脇にあった紅茶をこぼしそうになったときに見た覚えがあるぞとか、書物そのものに五感を刺激する風情があって、これに接する所作を要求するからこそ記憶が固定化する。

 電子辞書にはこれがない。
 だからじっくり対峙しようという気にならない。ちょいと調べものをしようという時だとか出先ではかけがえもなく便利だが、それだけだ。まことにコンビニエンスで日々便利に利用しているが、やはりコンビニはコンビニである。

 それだけではない。080115153916
 印刷の匂いがどうしたこうしたという、インテリの多数に支持されそうだけれども多分に嗜好的な域を超えて、紙の辞書類には独自の使い勝手の良さがある。
 まず自分にとって既知の領域においては、電子辞書よりも検索性能に勝ることが多い。
 たとえば、我々法律家にとって、民法の条文は基本的な構造が全て頭に入っている。だから民法の条文を確認するには、電子六法で検索するより六法全書をめくった方が相当早い。
 頭に入っているならそもそも検索する必要がないじゃないかと言われるかもしれないが、そうではない。我々は法令の暗記なんてしていない。法令の立法趣旨であるとか制度構造だとかそういったものこそ身に付いているけれども、個々の条文など正確に頭には入っていない。だから、あんな条文があのあたりにあったなということはよくわかっているけれども、その条文の正確な文言であるとか、その条文の前後の位置関係であるとか、そういった事どもは、やはり六法を当たってみたいのだ。
 こういうときに、電子六法に検索語を打ち込んでいる暇があったら、六法全書を開けば、だいたい指の感覚で当たらずとも遠からずのページが開いている。そこから条文の雰囲気を見るとはなく全体として一瞥して感じながらページをパラパラしてゆけば、目的の条文に自然と辿り着いている。右往左往はしない。
 要するに、この検索スピードは、紙の六法が優れているわけではなくて、自分の脳内検索能力の優秀さに負うところが大なわけだが、これぞプロフェッショナルたる所以だろう。プロである以上、電子六法を使う場面と紙の六法で足りる場面との使い分けができてこそである。

 同じ包丁を使っても、うまく魚をさばけるのが寿司屋の大将、三枚卸しにすらできないのがワタシということだ。そして寿司屋の大将は、ミキサーやスライサーだって使うときには使うことを私は知っている。使い分けができるのがプロ。

 なんでもかんでも電子化すりゃいいってもんじゃあない。

 ※写真・下は、広辞苑第6版554ページの一部を筆者が撮影したものです。